働く現場への人工知能(AI)の導入がさらに広がっている。従来は顧客相談窓口での自動応答など、単純作業が中心だったが、最近では経験と勘がものを言う「たくみの技」にもAIが進出し始めた。背景に何があるのか。職人の仕事が奪われる懸念はないのか――。研究や活用の最前線を取材すると、AIと人間が隣り合う近未来の姿が見えてきた。【後藤豪/経済部、松倉佑輔/デジタル報道センター】
「キン、キン」「ドン、ドン」。8月5日の昼下がり、静岡県富士市の研究機関につくられた模擬トンネル(延長80メートル)内で、高所作業車に乗った山口正毅さん(51)がコンクリートの壁をハンマーでたたいていた。山口さんはコンクリートの劣化の度合いを、たたいた時に出る音の違いから調べる「打音検査」のプロ。2種類のハンマーでたたく様子をヘルメットに付けたビデオカメラで撮影するとともに、打音の周波数を解析器で収集した。
これは、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託事業として理化学研究所などが進めている研究プロジェクトの一コマだ。たたく位置や力加減など、熟練の職人技に関するさまざまなデータを集め、AIに学習させて新人教育や作業効率化に役立てる。理研の佐々高史専任研究員は「一般の人はやみくもに壁をたたきますが、山口さんのようなたくみの人たちは経験から怪しい箇所を判断し、重点的にたたきます。音や画像のデータから、その違いをAIに覚えさせるんです」と説明した。
トンネルの老朽化対策は、中央自動車道笹子トンネル(山梨県大月市)で2012年、天井板が崩落し、9人が死亡した事故をきっかけに、5年に1回、目視で点検することが義務付けられた。
しかし、点検を担う職人の高齢化と後継者不足は深刻化している。研究プロジェクトに参加していたコンクリート調査会社「ウォールナット」(東京都)の北沢隆一さん(47)は「打音検査などの地道な仕事は、もともと若者から敬遠されがちでしたが、5、6年前から人手不足を顕著に感じます。20代の作業員はほぼいません」と嘆いた。
若手が入ったとしても、一人前になるには時間がかかる。山口さんは模擬トンネル内で自分以外の人が壁をたたいている時、「今、音が変わりましたね」「ほら、今」と何度か指摘した。しかし、一緒に聞いている記者にはわずかな音の違いが分からない。山口さんは「危険箇所の判定がスムーズにできるようになるまで、5年くらいかかりました。今でも悩む時はありますけどね」と話す。
理研は、経験の浅い若手でもより正確な判定や効率的な作業ができるよう、…