乗り鉄、撮り鉄、車両鉄など鉄道を愛するカタチはさまざまあれど、忘れてならないのが「駅弁鉄」。鉄道の発達とともに進化してきた駅弁は旅に欠かせない要素の一つだ。山梨、長野、静岡の3県の記者たちが、地域色豊かな鉄道グルメと、その背景を彩る物語を追った。名産品や郷土料理から、ちょっと豪華なメニューまで、食欲と旅心をそそる“鉄旅”に出発しよう。
JR塩尻駅(長野県)の5、6番線ホームにある売店に並ぶ駅弁の一つに、かわいいニワトリの絵が目印の「とりめし」がある。信州特産の野沢菜が入った1953(昭和28)年以来のロングセラーだが、現地に行かないと手に入らない希少品だ。
「特産の野沢菜を使っており、価格がリーズナブル(税込み730円)なことも、人気の理由になっています」。塩尻駅で販売にあたっていたステーションビルMIDORI松本支店の笠井康晴支店長はそう話す。秘伝のたれで炒めた野沢菜はシャキシャキとした食感で、ほどよい塩味があり、長野県産米を炊き込んだご飯がどんどん進む。優しい味付けの鶏そぼろとの相性もよく、冷めても柔らかい鶏の唐揚げも載っている。長野出張の度に家族のために買って帰る県外のビジネス客がいるなど、リピーターも多い。
根強い人気があるとりめしだが、かつてピンチに陥ったことがある。とりめしを手がけてきた1890(明治23)年創業の老舗駅弁製造業者「カワカミ」(塩尻市)が競合の激化などで収益が悪化。2020年4月に弁当事業を飲食チェーンの王滝(松本市)に譲渡したのだ。コンビニ弁当の発達などに伴い、苦境に立たされていた。
「とりめしの駅弁は昔から塩尻に根付いている。いいものは残しておきたかった」(王滝広報)。譲渡初年度は新型コロナウイルスの感染拡大と重なった。20年度の塩尻駅における1日平均の乗車人員は前年比1143人減の3208人に落ち込み、厳しい再出発となった。その後、新型コロナウイルス感染症の位置づけが「5類」になった23年度は3908人にまで回復。とりめしの販売数も新型コロナの感染拡大期には1000個に達しない月もあったが、23年度には3000個近く売り上げる月もあり、軌道に乗りつつある。
とりめしが販売されている1902年開業の塩尻駅は、長野県のほぼ中央に位置する。東京―名古屋駅間を結ぶ中央本線と、県北部の長野駅方面への列車が接続する、要衝となる駅だ。もっとも大消費地の東京からは時間がかかる。長野冬季オリンピックを翌年に控えた97年に長野新幹線が開業して東京駅からの所要時間が大幅に短縮された長野駅などと比べても、地理的ハンディは否めない。
東京駅などのターミナル駅で販売を打診されたこともあるが、距離的な問題と賞味期限の観点から断念した。現在、販売されているのは塩尻駅以外は松本駅だけだが、逆にそれがレア感につながっている。家にいながらにして世界中のものが手に入る時代にあって、現地に行かないと手に入らない「幻の駅弁」とでも言いたくなるような存在だ。
とりめし作りは夜が明けていない午前3時ごろから始まる。「歴史のあるカワカミさんの駅弁を受け継いだので、あまり今風の商売の仕方をせず、顔が見える商売をしていきたい」と王滝ケータリングサービス塩尻支店の細合寿明支店長。旧カワカミ時代からいた熟練の職人から受け継いだレシピも、昔のままだ。【高橋秀明】
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税込み730円。塩尻駅、松本駅で購入可。王滝グループではこのほか、「お弁当のカワカミ」のブランド名で、山菜釜めしや旬の食材を使った炊き込みご飯を楽しめる「小さな信濃路」などの駅弁も販売している。問い合わせは王滝ケータリングサービス塩尻支店(0263・52・1234)
山梨県の小淵沢駅と長野県の小諸駅を結び、JR線で最も標高が高い地点(1375メートル)を走る小海線。JR東日本は2017年から、週末を中心に観光列車「HIGH RAIL1375」を1日3便運行している。夜の「星空」号でしか食べられない特製弁当があると聞き、寒夜の八ケ岳高原を駆け抜ける列車に乗った。
12月上旬の午後7時過ぎ、小淵沢駅の5番ホームに停車中の星空号(2両編成)のドアが開いた。「天空にいちばん近い列車」がコンセプトで、車体に夜空と八ケ岳が描かれている。2号車には、天文書籍を並べたギャラリーがあり、半球形の天井に星空の映像を投影する。
事前に申し込んでおくと車内の物販カウンターで受け取れるのが、長野県産の食材を使った特製弁当(税込み1300円)だ。包装に仕掛けがあり、外蓋(ふた)を開けると、八ケ岳を背に走る観光列車が立体的に飛び出す。
弁当は格子状に区切られ、信州牛▽信州サーモン▽野沢菜▽マツタケ――を乗せた手まりずしのようなおむすびが四隅にある。肉団子やしゅうまい、ミニトマトといったおかずも豊富だ。締めにリンゴと巨峰かんてん餅を食べれば、口の中がさっぱりする。
製造する駅弁会社「丸政」(山梨県北杜市)の担当者は「信州名物を詰め込み、列車が飛び出すパッケージにもこだわった。駅弁を開ける時の楽しさを味わってほしい」とPRする。
特製弁当を楽しむ家族連れなどでにぎわう星空号は、小淵沢駅から35分ほどかけて勾配を登り、JRの駅で最も高い標高1345・67メートルに位置する野辺山駅(長野県南牧村)に到着。ここで約40分停車し、駅近くの公園で星空観察会が開かれた。
「冬の一等星が七つ見えますね」
案内人を務める国立天文台野辺山宇宙電波観測所の元職員、斎藤泰文さん(74)=北杜市=が、ペンライトを使って解説。この日は氷点下5度と冷え込み雪がちらついたが、ちょうど雲が流れて満天の星が広がり、乗客たちから歓声が上がった。
家族5人で乗車した横浜市の小学4年、長神敬太さん(10)は「星がたくさん見えてめちゃめちゃきれいだった。(弁当は)サーモンのおむすびがおいしかった」と満足げだった。
星空号は午後8時40分過ぎ、終点の小諸駅に向けて出発した。
小海線は2025年、全線開通から90周年を迎える。雄大な風景を望める一方で、JR東が収支を公表する「赤字路線」には高原地帯を走る区間が含まれる。23年度の小淵沢―小海駅間の乗客数は1日平均379人で、収支は13億5100万円の赤字という。
山梨、長野両県や周辺の市町村でつくる沿線地域活性化協議会によると、24年は列車に乗ってサイクリングやハイキングを楽しめるツアーを試験的に実施。事務局を務める小諸市の担当者は「小海線は高原観光に適していて、自然体験型アクティビティーと相性がいい。観光面を盛り上げ、利用者増につなげたい」と話した。【野田樹】
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「HIGH RAIL1375」は、1号(下り)と2号(上り)、星空号(下り)の計3便。1号にも「小海線高原ブランチ」(税込み2200円)がある。特製弁当は、乗車4日前の午後11時までに、オンラインサイト「JREMALL ネットでエキナカ」で購入し、車内で受け取る。問い合わせはJR東お問い合わせセンター(050・2016・1600)。