深田久弥にとって最後の山行から51年。当時を知る関係者の多くは鬼籍に入った。深田を含め男性メンバー6人は、地元で案内役を務めた日本山岳会会員の山村正光さんを含め全員亡くなっている。
山村さんが遺(のこ)した一文「茅ガ岳回想」(雑誌「山と渓谷」1982年10月号)には、深田が急逝した71年3月21日の出来事が詳細につづられ、関係者の名前も記されている。その日のうちに深田の妻志げ子さんらとともに駆け付けたのが山岳会会員で元フリー編集者の横山厚夫さん(89)だ。
深田が54年に雑誌に連載していたヒマラヤに関するコラムで、深田自身が読んだことがないと紹介していた本を、当時学生だった横山さんが古本屋で発見。その本を購入し、深田に手紙を添えて送ったのが縁で交流が始まった。