1933年2月、東京の都心にあった旧制女子専門学校の同級生2人(ともに当時21歳)が伊豆大島を訪れ、1人は三原山(758メートル)の火口に身を投げ、1人は保護された。心中と捉えられた小さなニュースだったが、生きて下山した学生は1カ月前も、三原山で友人(同24歳)の自殺に立ち会っていたことが判明。「死の案内人」とされ、たちまち世間の耳目を集めた。この後、三原山で模倣自殺が相次ぎ、島民は防止に追われた。
大島は東京港から100キロ余り。定期船があり、観光に力を入れていた一方、三原山では島外の人の自殺が時々起きた。