世界大恐慌など昭和初期の不景気にあえいでいた鉄道省は1932(昭和7)年夏、増収を狙い、観光地化し始めていた上高地(長野県松本市)の小梨平(こなしだいら)で大型キャンプを企画した。登山に無縁だった都会人がキャンプファイアやダンスで大騒ぎし、その前から入っていた大学や旧制高校の山岳部学生らが憤慨。「山を汚すな」とテントを襲撃した。
上高地は北アルプスの奥深い渓谷だ。明治以前は人影も少なく、最寄りの島々(しましま)駅開業は22(大正11)年。それでもまだ、徳本(とくごう)峠(2135メートル)越えも含めて西へ徒歩20キロ以上があった。