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2022/04/01 ,

武田信玄の家臣宛て書状を入手 川中島合戦の戦費負担求め 長野

武田信玄の家臣宛て書状を入手 川中島合戦の戦費負担求め 長野

 領地拡大のため北信濃(長野県北部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名武田信玄(1521~73年)が家臣の在地領主に対して宛てた書状を長野県立歴史館が入手した。越後(新潟県)の上杉謙信と争った川中島合戦の戦費負担を求める内容で、信玄が善光寺平(長野市中心部)での勢力拡大の手法をうかがえる新史料。同館文献史料課の村石正行課長(50)は「川中島合戦に関わる戦略的な文書はほとんどなく貴重だ」と指摘する。【皆川真仁】
 書状は1555年7月、第2次川中島合戦(犀川の戦い)の最中に埴科郡清野郷(長野市松代町清野)を治めていた清野信秀(生年不詳~1565年)に宛てたもの。これまで存在すら知られておらず、昨夏に京都の古書店から同館が286万円で購入した。出家して信玄と名乗る前の「晴信」の署名と花押がある。
 要所の綱島(長野市青木島町綱島)に近い本陣「大堀館」の整備に必要な費用を信秀に負担させるため、信秀から所領の帳簿を預かったことに感謝する内容。信秀の領地のうち清野郷や雨宮郷(千曲市雨宮)の支配を認める一方、これらの土地の収益約4000貫を臨時の税とするが、綱島再興にあたっての費用負担を評価し、3000貫に減税したことが読み取れる。
 今回見つかった文書について、村石課長は「晴信が善光寺平でどのように勢力を広げようとしたか、拠点づくりをしようとしたかが垣間見える興味深い文書」と分析する。
 3月末に刊行された研究紀要に詳細を記した論文を掲載。22年度の企画展で公開する。
 甲斐(山梨県)の武田信玄と、越後(新潟県)の上杉謙信が1553年~64年、現在の長野市の千曲川と犀川の合流する周辺で数度にわたって繰り広げた戦い。一騎打ちがあったと伝わる第4次合戦が最も激しく、その川中島古戦場跡は公園として整備されている。謙信が馬上から斬り付けた太刀を、信玄が軍配で受け止める場面はたびたびドラマなどで描かれてきた。

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